東京の商売その1 経堂この水曜の夜、世田谷の経堂という街へ行ってきました。何か目的を持っていったわけでもなく、友人のブログに書かれていたカフェの住所にあった「世田谷区経堂」という字に惹き付けられ、直感的に行こうと決めました。 こういう直感が働く時には、何かがあるんですね。 小田急の経堂駅を降りて、友人のブログに書いてあったカフェの道順どおり「すずらん通り商店街」と書いてある通りを進むと、そこには普通の商店街の光景がありました。 八百屋に果物屋。 すし屋に蕎麦屋。 洋服屋(という表現は死語でしょうね)に、居酒屋。 散髪屋に美容院。 肉屋に和菓子屋にケーキ屋もありました。 皆小さな店ばかり。 そして、その小さな店が皆活きて商売をしている。 この場合、普通と表現していいのでしょうか? 普通だけど、決して普通ではありません。 なぜなら、こんなに小さな店ばかりがより固まって、でも殆どの店がきちんと商売をしている場所は、今の日本に数えるしかないでしょう。 どの地方へ伺っても、商店街の話になると「寂れる一方で歯抜け状態だよ」と聞きます。 しかし、歯抜けの寂しさは経堂にはありませんでした。 表具師という看板があり驚嘆したその数軒先には、呉服屋がありました。 私の父は、飲食店を開業する前は呉服屋を営んでいましたが、その頃のうちのお店の作りに良く似た小さな呉服屋です。 懐かしい、と思うと同時に、田舎ですら成り立たなくなった古い業態の商売が都会のここにはある。 その不思議さが、経堂という街には不思議でもなんでもなく存在しています。 ちなみに八百屋は1軒だけではなく、3軒ありました。 きちんと商売をしている雰囲気が全ての店の中にはあります。 友人のブログに書いてあったカフェを見つけ休憩がてらコーヒーを飲んでいる間、お店のお姉さんに 「ここの商店街は凄いですね」 と言うと 「小さい店ばかりですけど、なぜか大手が入ってこないんですよ。コンビニですら最近出来たばかり」 そう言われてみるとどこでも頻繁に見かけるコンビニも1つしかありませんでした。 駅前に大きなショッピングモールがありましたが、”大手”と言えるような多店舗系のお店も殆ど見かけません。 「小さいけれど、皆さん古くから商売している店ばかりなんですよ」 以前、この日記で「東京の商売は粗い」と書きました。 そして、今でも東京の商売の殆どが粗いと私は思っています。 でも、そうでない商売もどうやらあるようです。 表面的に見える商売はどれも粗い。 でも、その表層の下には、昔ながらの信用と実績に裏打ちされた”田舎商売”が東京にも存在している。 経堂という街になぜ大手が入ってこないのかは、分かりません。 色々な条件の中からたまたまそなっているのだろうとしか言えません。 でも、小さな店が小さいままで永く商売をしているということは、経堂の住民の人たちとそのお店の間にきちんとした関係が今でも続いている証拠です。 その中で流行りや大手との競合とは違う、小さなお店等とお客さん達の間で独特の世界が生まれている。 (その世界はこんな風なサイトも生み出しているようです。 経堂系ドットコム http://www.kyodo-kei.com/ さっき発見しました。) カフェを出た後は今度は商店街ではなく裏の道を歩いて帰りました。 予想通り、そこにはマンションやアパートは少なく、小さくすし詰めではあってもきちんとした門構えを持った住宅が殆どを占めていました。 そして、その門構えの中に「昔からここに住んでいる誇り」のような物を感じながら 「永い商売は、そこに永く住んでいる人との間で生まれるんだな。こりゃ、田舎よりも田舎商売だ」 と考えつつブラブラとホテルへの帰路へ着いたのです。 東京という流行の発信源であり商売の激戦区の下には、どうやら表層からは見えない別の世界の商売があるようです。 そして、その別世界は大手との競合の中にさらされる弱肉強食の世界とも、ベンチャービジネスのような早いもの勝ちの競争の世界とも違う世界があります。 流行を追うものは、流行に追われます。 競争するものは、競争に勝ち続けることを義務付けられ、最後には負けます。 (それは歴史が証明しています) そんな流行とも競争とも無縁の商売。 経堂という街は、私にとっては奇跡のような街であると同時に、自分のやっていることの確かさを確認できた街でした。 ただぶらっと行って、ぶらっと歩いて来ただけです。 でも、そのぶらっとがこの先どれほど自分に大きな影響を与えるか? 自分で、楽しみにし始めています。 ジャンル別一覧
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